あっ!アレは何だ?

平将門の首塚 2022/01/12
 京都でさらし首の刑に処された平将門は、何カ月経っても目を見開いたり喋ったりして生きているようだったそう です。「首をつないでもう一戦しよう!」と叫んだりして、人々を怖がらせていました。その後、将門の首は笑いなが ら関東目指して飛んで行き、途中力尽きて落ちた場所が、現在の大手町の首塚だと言われています。
 何故、この大手町の首塚は丁重に扱われているのでしょう。
 その答えは、首塚に手を加えようとする度に起こる事故や死亡。そう、将門の祟りと言われているからです。過 去の祟りで有名なのは、@戦前に旧大蔵省の仮庁舎を建設しようとした時。首塚を更地にして仮庁舎を建設する 工事を始めたところ、当時の大蔵大臣が急死して大蔵省官僚や工事関係者が十数人も亡くなってしまいました。 A戦後、GHQが首塚を撤去しようとしたところ工事の重機が横転し運転手が死亡。B前回の整備工事は1976年。 この時に発生した大きな事件は、ロッキード事件や、台風17号による被害など。
 2021年12月。東京行きのついでに寄ってみました。大手町のビル群のど真ん中にあって、平日にもかかわら ず、結構な数の参拝者がいらっしゃいました。それ程、皆さん興味・関心のあるスポットなのですね。
 さて、ふと思うと、オイラが前回訪れたのは2014年11月。7年前だが、何か雰囲気が違うような。調べてみると、 整備工事を1976年以来で実施したそうです。なんと、バチ当たりな。

   

 以下、一回り大きな画像は2014年撮影の首塚です。
   
 鬱蒼と茂った木々が綺麗に伐採されているではないですか。砂利も綺麗に敷かれて。この整備工事は2020年11 月〜2021年4月まで行われたそうです。工事関係者が事故の被害に遭ったとか、関係者が亡くなった話は聞きま せんでしたが、新型コロナ・ウイルスの猛威は祟りとは無関係なのでしょうか? 工事が始まった時点では、既に コロナ禍でしたが、今回で第6次となる整備工事の計画・立案を立てたのは数か月から数年も前のハズ。首塚を いじる前の計画の段階で、今回のコロナ騒ぎは怒った将門の祟りだったりして。


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