あっ!アレは何だ?

ヤマモトヤの玉子サンド 2021/08/07
   

 厚木の郊外。黄色い建物と無人販売所に超・長蛇の列。お目当ては玉子サンドだ。画像の日 は平日の14:29。連日、マスコミに取り上げられ、オイラも御多分に漏れずスクーターを走らせ た次第だが、到底最後列に並ぶ程の暇はなかった。
 さて、連日のTV特集番組では、この無人販売所の主の名は「山本幸子」と伝える。聞いたこと あるな? しかも、オイラの人生のある一瞬で毎日のように強烈に聞かされた名前だ。
 「サンドイッチ?」、「山本幸子?」。えっ、あの「(株)ヤマモトヤ」と関係あるのだろうか?
 昭和62年4月1日。オイラは神奈川県座間市にある金融機関の支店に配属が決まった。最初 の1年間は窓口業務。朝、決まった時間にヤマモトヤから電話がかかってきた。
「ヤマモトヤですが、今日はいくつサンドイッチの出前頼みますか?」
よくあるセールスの電話だが、こちらには絶対的弱みがある。相手は顧客なのだ。
一旦、外線を保留にして、「サンドイッチ頼む人?」と支店内のオーダー数を取る。通常、手を挙 げる職員などいない。サンドイッチなど、コンビニで好きなアイテムを買えるし、支店の間近に 「相鉄ローゼン」というスーパーがあったから、わざわざ出前などで昼食をゲットする事NGなの だ。そして、オーバー500円という高価さに加えて、パサパサなパンで普通の具材のサンドイッ チ。これでは人気などない。ヤマモトヤの担当渉外者だけが義理で1つ注文していた。
 時は昭和時代。ナンバー・ディスプレーなどという名器はまだ無い。率先して外線電話を受け なければならない新人のオイラは、よくハズレの朝電話を受けてしまった。今朝は所長の説教 話も長かったし、月末で朝から電話がひっきりなし。ヤマモトヤの電話を受けると、保留3秒ほど
「今日の注文はありません!」
と、キッパリ断ってしまった。当然、苦情の電話となって再度かかってくる。
「今、電話に出た男の人、回りに聞かなかいで断ったでしょう?」
全くその通りだが、お宅のサンドイッチが注文に値しない事も解ってもらいたかった。そして、都 度の勧誘電話は山本幸子・社長自らだったという事も判明した。
 一年後。晴れて営業に。担当地区は(株)ヤマモトヤのある準重点地区だった。当然、週に2 回はヤマモトヤのサンドイッチが昼食となる。ヤマモトヤの工場は綾瀬市の大上という住所にあ った。渉外でヤマモトヤには毎日訪問。コンビニに卸す業態だったので、集金よりは振込、振 替、税金支払い、従業員への給与支払いが主だった。ガッタン、ガチャガチャと機械化された工 場ではなく、銀色のステン・テーブルが並ぶ工場内だ。一斗缶のバターやマヨネーズをテーブル 台に並べたパンに塗り挟む手作業が主なのだ。社長はほとんど現場でサンド作り。渉外での相 手は夫の保夫さんだった。新日鉄だか日本鋼管だか、大企業を中途退職してヤマモトヤに加わ った。当時のヤマモトヤの特徴として、外人従業員が多かった。コンビニ相手で365日24h稼働 の工場だから、出稼ぎの外人は重宝だったのだろう。現金払いの給料で、袋から10円未満の 硬貨はゴミ箱に投げ捨てていた光景は忘れられない。
 ヤマモトヤの担当は、その後3年間続いたが、3年後位に少し変化が現われた。社長が現場 から離れて、渉外の相手をする事があった。何か知らないが、社長の朝食に付き合った事もあ った。米軍基地そばの店に呼び出されて、でも別に特別な話は無かった。何だったのだろう?
 その後、担当地区は変わり、転勤の連続でヤマモトヤの事はスッカリ忘れた。その後、更に金 融破綻、留学、転職。ヤマモトヤのヤの字も、オイラの頭の片隅からも完全に消えてしまった。
 昨今のブームである玉子サンド・無人販売の社長・山本幸子氏。オイラがかつて担当した (株)ヤマモトヤの社長と同一人物なのだろうか? 連日のマスコミ取材で判明した幸子社長の 御年は77歳。オイラが58歳だから、その差は19才。オイラが金融機関に就職したのが22歳だか ら、当時社長は41歳だったという訳。道理・計算が合ってしまう。まあ、大体顔が同じだ。写真で 登場する旦那さんの保夫氏も一致する。
 たった3〜4年程しかお付き合い期間がない間柄でしたが、当時を思い出させてくれて感謝して います。綾瀬市大上にあった工場は、外階段も床も油でツルツルしていました。当時、居留守 みたいに電話注文を断ったヤマモトヤのサンドイッチ。バチなのかな? 今じゃ、そう簡単にヤ マモトヤのサンドイッチは買えません。
 


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